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経歴 |
大正 8年 |
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戦争で何度か商売が中断し工場がなくなる。 |
昭和19年 |
第二次大戦後、二代目が二見で塩作りをするが、これではダメと思い大阪で鉄工所を再開する。 |
昭和25年10月 |
本田磨シャフト有限会社設立 |
昭和30年 9月 |
青山磨シャフト株式会社改組 |
昭和39年 2月 |
青山シャフト工業株式会社に改称 |
昭和43年 |
今ではNC機械に欠かせないT.S製のボールネジ立上げに加工業者として携わる。 |
昭和51年 |
大阪テクノマスターで認定を受けた技能をあみだす。 |
昭和64年 |
大阪市に登録済みの旋盤磨きシャフトの在庫販売を始める。 |
平成3年 |
バブル期で波にも乗れず崩壊する。 |
平成5年 |
シャフトのみでは衰退ばかりで3代目が橋梁部門の開拓に力を注ぐ。 |
平成6年 |
明石海峡大橋の製造業者JV6社から部材の加工を請負う。 |
平成7年1月 |
阪神大震災で阪神間に多大な被害が起こる。 |
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震災で阪神高速神戸線が橋脚ごと倒れ、復興工事に約二年携わる。 |
平成8年 |
立体駐車場の機械加工部品を手掛ける。 |
平成12年 |
立体駐車場部品から撤退する。 |
平成13年 |
GT AOYAMAカーパーツ事業部で競技用パーツを販売する |
平成14年 |
大阪市からオンリーワン企業の登録を受ける。 |
平成17年 |
大阪市から優れた技能伝承の賞、大阪テクノマスターを3代目社長青山 信幸が
長尺旋盤部門で受賞する |